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2020.05.06

お殿様が愛した鮒ずし!伝統を受け継ぐ「阪本屋」6代目の思い。

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お殿様が愛した鮒ずし!伝統を受け継ぐ「阪本屋」6代目の思い。

(画像提供:阪本屋)

 滋賀県の伝統食品、鮒ずし。千数百年もの間、琵琶湖周辺で食べ続けられてきた鮒ずしを商品として初めて売り出したのが、阪本屋です。今回は、5代目現社長の息子で、6代目となる専務取締役・内田真太郎さんに、お店のことや材料である琵琶湖の固有種・ニゴロ鮒について語ってもらいました。

阪本屋の鮒ずしのルーツは「お殿様の味」

お殿様が愛した鮒ずし!伝統を受け継ぐ「阪本屋」6代目の思い。

 明治2年創業から続く阪本屋のルーツは、まだ琵琶湖・大津の地に膳所城があった時代まで遡ります。膳所城城下町の御用料亭「阪本屋」で丁稚奉公していた現在の阪本屋の初代が、本家からのれん分けで、札の辻(現在の阪本屋がある大津市長等)に開業したのが始まりです。

お殿様が愛した鮒ずし!伝統を受け継ぐ「阪本屋」6代目の思い。

(画像提供:阪本屋)

 滋賀県に稲作とともに伝わったといわれる鮒ずしですが、実はこのときまで「鮒ずしを店頭販売する」というビジネスモデルは存在しませんでした。各家庭で漬けたものを食べるのが一般的で、「購入して食べる物」という認識は誰も持っていなかったといいます。

 当時、本家の料亭「阪本屋」は鮒ずしや佃煮を得意とし、膳所城城主本多氏やその賓客をもてなす場として繁盛していました。販売専門店としてのれん分けした阪本屋の売る商品は、いわば「お殿様の味」。家で漬けたものとは一味も二味も違う、臭みのない鮒ずしは、あっという間に、琵琶湖を代表する名産品となりました。

お殿様が愛した鮒ずし!伝統を受け継ぐ「阪本屋」6代目の思い。

 本家の料亭からも大きなバックアップを受けた阪本屋。明治16年には、日本初の水産博覧会で滋賀県から唯一出店を許され、褒賞を授与された後も数々の栄誉を獲得しています。

一子相伝の味を受け継ぐ

お殿様が愛した鮒ずし!伝統を受け継ぐ「阪本屋」6代目の思い。

 滋賀県在住者でも、「昔、自宅で鮒ずしを漬けていたけれど、匂いがきつくて食べられなかった」という人もいます。しかし、御用料亭の技術が伝承された阪本屋の鮒ずしは、臭みも少なく驚くほど上品な味。まるで高級な「魚のブルーチーズ」を食べているかのような奥深い味わいがあります。

 この阪本屋の鮒ずしの製造方法は、代々家を継ぐ者だけが知る秘伝の技。一子相伝、門外不出の漬け込み方が、他ではまねできない最高の味を作り出しているのです。

 今回は、特別に製造の過程と秘伝の製法を少しだけ聞かせてもらうことができました。

 3月から4月にかけて、産卵期を迎えた鮒が水揚げされてきます。漁は自然が相手。たくさん獲れる日もあれば、全く獲れない日もありますが、1シーズンでおよそ1.5トンの鮒を内田さんと5代目の二人でさばいていくそうです。

 まずは、ウロコ、浮袋、内臓の取り出し作業です。内臓が残っていると、できあがったときの臭みの原因になってしまいます。かといって、メイン商品となるのは卵を持ったメスなので、お腹を割くことはできません。手探りでエラから針金状の棒を差し込み、卵巣を傷つけないように気をつけながら作業を進めていきます。

 慎重さが求められる工程ですが、なんと内田さんが1匹にかける時間はわずか十数秒。5代目はたったの数秒、祖父である4代目に至っては、目にも止まらぬ速さでさばくことができたそうです。

 内臓がきれいに取り出せたら、次は塩詰めです。一匹一匹丁寧に塩を詰め、桶に漬けて夏まで置いておきます。そして、土用の丑の頃から、「飯漬け(いいづけ)」の作業がはじまるのです。春から塩蔵していた鮒から塩を取り出し、一日天日に干します。飯漬けのために用意した近江のコシヒカリを炊き、春の作業と同様、エラからご飯を詰めていきます。

 阪本屋では、この塩漬けを開けてご飯で漬け込む際、もう一度、魚の周りをきれいに洗います。もちろん春の段階でも十分に洗っていますが、ここで再度丁寧にウロコを取り洗い流すことによって、味の良し悪しが大きく変わるのです。

 今では、一般にも普及したこの何気ない「一手間の工夫」ですが、実は、これも阪本屋の「秘伝の技」。ただ、情報が漏れることをそれほど気にしていなかったため、いつの間にか世の中に広まっていったといいます。このように、現在も門外不出となっている「核の部分」以外も、様々な工夫が凝らされているからこそ、阪本屋の鮒ずしは「別格」の味わいを今日に伝えています。

 

お殿様が愛した鮒ずし!伝統を受け継ぐ「阪本屋」6代目の思い。

(画像提供:阪本屋)

 最後は桶への漬け込みです。ご飯、鮒、ご飯、鮒…とサンドイッチ状に漬けていきます。上から重石を乗せ、あとはひたすら翌春ごろの完成を待つことになります。

 内田さん自身も、本格的に働きだして初めて、一子相伝の秘伝を5代目から教えられました。今まで知らなかった核となる部分を初めて聞かされたとき「ああ、これは普通にやっていたらできないな」と驚きを感じたと言います。初代が本家から引き継いだものを土台にし、2代目、3代目…。より良いものをお客様に提供するため、研究を重ねブラッシュアップしてできあがった最高傑作こそが、現在阪本屋の店先に並ぶ鮒ずしです。

鮒ずしに必要なニゴロ鮒の現状

お殿様が愛した鮒ずし!伝統を受け継ぐ「阪本屋」6代目の思い。

(画像提供:阪本屋)

 阪本屋の鮒ずしには、琵琶湖の固有種であるニゴロ鮒と地元近江のコシヒカリが不可欠です。ただ、残念ながら、2019年から2020年にかけて、肝心の鮒が獲れない状況が続いています。

 これまでも、ニゴロ鮒はもう絶滅するのではないかと心配されたことがありました。しかし、その際は外来魚やカワウの増加など、原因がはっきりしていて、対策を講じることができました。

 しかし、近年ではニゴロ鮒が減少する具体的な理由が分からないそうです。内田さんは、地球温暖化や環境破壊の影響により、琵琶湖の生態系が大きく変わったことが関係しているのではないかと危惧しています。

 かつて、現社長の5代目と先代は、琵琶湖のニゴロ鮒以外の鮒で同じ品質の鮒ずしを作れないかと試行錯誤していました。日本だけではなく、海外にまで出かけ、手に入れた鮒で作った鮒ずしは「これを売るなら、もう店を畳んだ方がいい」と、5代目がこぼすほど売り物になるようなものではありませんでした。

 工場で作る製品とは違い、鮒ずしは琵琶湖の恵みを受け、大切に作り継がれてきた伝統食品。「琵琶湖の環境問題」という大きな課題を何とかして乗り越えなければ、「湖国の鮒ずし」を次の世代に遺すことはできません。

鮒ずしの伝統を受け継ぐ6代目の決意

お殿様が愛した鮒ずし!伝統を受け継ぐ「阪本屋」6代目の思い。

 7代目、8代目へとバトンを繋げるかどうか。壮大な命題を引き継いだ内田さん。環境問題という壁を前に、様々な手段で挑戦を試みています。

 滋賀県や大学と連携し鮒ずしの成分研究を進めたり、他の商品を開発してみたり…。遠方に住むお客様のため、電話やウェブで注文も積極的に取り入れています。また、伝統ある酒蔵や長等漬けの後継者と一緒に発酵の会を結成し、鮒ずしを知ってもらおうと努力を続けているのです。

 大津市長等に生まれ、「きっと将来は鮒ずしの店を継ぐのだろうな」と思いながら成長してきたという内田さんですが、実は、子どもの頃は、毎日食卓に並ぶ鮒ずしを食べられませんでした。中高生時代は、家業のことでからかわれ「自分の食べられないものを売るなんて、とんでもない家に生まれたな」と思うこともあったそうです。

 しかし、高校生時代に、何気なく箸をのばしたら、すんなりと食べられるようになり、今では阪本屋の鮒ずしがどのお店よりも美味しいと胸を張ります。いつしか周りの友達も「あの阪本屋なの!」と肯定的な目で見てくれるようになりました。

 昭和の初期、100年近く前に建てられたという阪本屋の応接間には、内田さんの祖父である4代目の写真が飾られています。「長等が好き、大津が好き。生まれ育ったこの街が好きだから、鮒ずしを通じてもっと大津のことを知ってほしい。そして、一人でも多くの人が琵琶湖の環境のことを考えてくれたら…。」そう語る6代目の眼差しは、戦争で物も人もない中、鮒ずしの伝統を守りきり、神がかった早業で鮒をさばいたという4代目に驚くほど似ていました。その郷土愛を胸に秘めつつ、これからも「琵琶湖のお殿様の味」を守り伝えてくれることでしょう。

ライター
梨紗

初めてのキャンプも、初めてのスキーも、初めての登山も…すべて滋賀で経験した琵琶湖大好きなライター。1男1女の母となったあとも、子どもたちにせがまれて、春夏秋冬、足繁く琵琶湖へと通っている。